子どもが学校に行きたくないと言ったとき、どうしたらいいか悩んでいませんか? 私は自分自身が不登校を経験したことがあるため、親が焦る気持ちを理解しつつも基本的には冷静でいられます。
この体験談を読むことで、「不登校は終わりではなく、本人の成長の過程」であることを知ってもいただけたらと思います。
子どもが不登校でも慌てない私の理由
子どもが突然「学校に行きたくない」と言ったとき、親は焦りや不安でいっぱいになります。
でも私は冷静でいられます。
その理由は、私自身が不登校を経験してきたからです。
小学校高学年から始まった不登校
少しずつ学校を休むように
小学校5年生から6年生にかけて、少しずつ「お腹が痛い」といった理由で休む日が増えました。親が働いていて日中不在だったため、昼間は一人で過ごせる安心感がありました。
一方で、家族といるとギスギスしていたことも多く、特に母親とは対立が絶えませんでした。イライラして部屋のものを散らかしたり、包丁を手にしてしまったこともあります。
中学に入ってからの葛藤
学校に行くことが辛かった理由
私立中学を受験し、中学1年生の1学期は通学しましたが、2学期からは全く行けなくなりました。
母は系列短大の出身で、「この中学に通えたら素敵」という話を何度もしていました。その影響もあって、自己肯定感の低かった私は「私立中学に通う自分」に少し優越感を抱いていました。
しかし実際には、学校に行くたびに先生や先輩の目が気になり、勉強の遅れも重なって、朝になると心臓が締めつけられるような不安に襲われました。頭では「行かなくては」と思いながらも、心の奥では「もう行かない」と決めてしまっていたのかもしれません。
結局、優越感と現実とのギャップに苦しみ、心はぐちゃぐちゃの状態でした。
元々コミュニケーションが得意ではないのに、中高一貫という生徒数の多い学校を選んでしまったことも目に見えない心の負担だったのかもしれません。
それまで通っていた公立の小学校と比べ、通学時間が長く、身体的な負担も大きかったことも影響していたと思います。
親からのプレッシャーと矛盾
一番苦しんだこと
何一つ状況が変わっていないのに「行け」と言われること、車で無理やり連れて行かれること、学費や先生の存在を理由に責められることが辛かったです。
30年近く前のことです。当時は今より不登校も珍しく、学校に行かないことを「登校拒否」と表現していた時代でした。今のような情報ツールも少なく、親としては限られた知識や経験で精一杯考え抜いた対応だったのだと思います。
親の期待に応えようとする気持ちはありましたが、「先生は正門で待っていた」「仕事を抜けて送りに来ている」などの言葉は、私にとってただ重圧に感じられるだけでした。
親も悩んでいたこと
母は私の不登校を心配して精神科に行きました。
しかし、「娘さんの不登校はあなたのせい」と言われて帰宅後は怒っていました。
今振り返ると、親も必ずしも自分を責めていたわけではないことが分かります。私自身は子どもが不登校になると自分を責めがちですが、母は違ったのです。
一人で過ごす安心感と自分なりの工夫
家で過ごす時間が心の支え
一番ホッとするのは一人で家にいるときでした。自由で安心できる空間で、学校や家族からのプレッシャーを忘れられました。兄弟とは顔を合わせづらく、家の中でも孤独感はありましたが、一人の時間は私の心を守る時間でもありました。
自分で勉強計画を立てる
不登校中でも、自分で時間割を作り勉強を実行していました。これが私にとっての小さな成功体験であり、「不登校でも私は努力している」という周囲へのメッセージだったのかもしれません。
それ以外の時間は何をしていたかはほとんど覚えていませんが、自由な時間は心の回復につながっていました。
不登校は終わりではない
今は普通に社会人生活を送れている
私は不登校時代がありましたが、今は普通に会社員として働き、生活しています。過去の経験は消えませんが、不登校が人生の終わりではなかったことは確かです。
親ができること
親としてできるのは、無理に解決しようとすることではなく、信じて待ち、寄り添うことです。
子どもが動き出すのは本人のタイミングであり、焦る必要はありません。
💡 子どもの不登校に悩む親御さんにおすすめの本です。
本当にたくさんの選択肢があるのだなと気付かされます。
まとめ
不登校は珍しいことではなく、本人なりの考えや自分の心を守るための必要な選択の結果であると言えます。
学校に行くのも行かないのも子ども自身が正解を一番わかっている。私自身行かない時期もあったけれど、今こうして恵まれた人生を送っている。
これが、私が冷静でいられる理由です。

大丈夫。
いつも頑張っているあなた。
肩の力を抜いて、一緒に前を向いて歩んでいきましょう。
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